新日本機動工業株式会社
昭和38年3月
西日本車体工業株式会社構内に本社移転
平成13年2月
共栄車体工業株式会社 鳥栖支社として、渡辺自動車工業より事業を引き継ぐ
平成30年3月
小倉工場 ハーネス製造グループがISO9001/2015を認証取得
九州飛行機株式会社
昭和18年10月
株式会社渡辺鉄工所から航空機製造部門を分離し、九州飛行機株式会社を設立
昭和28年8月
福岡県筑紫郡春日町に移転し渡辺自動車工業株式会社に商号変更
平成4年9月
佐賀県三養基郡基山町大字長野308番地5へ本社移転
3社で積み上げた技術と知識を、お客様ニーズの実現に活かして参ります。
昭和31年1月、新日本機動工業株式会社として、福岡県北九州市小倉北区板櫃町に設立。
当初から、各種自動車車体の製作ならびに修理を行っており、昭和32年に宮崎市、昭和34年に鹿児島市と2度の移転を経た後、昭和37年に福岡県北九州市小倉北区下到津にあった西日本車体工業(株)の敷地内に移転しており、同社のアフターサービス業務を始めました。
同年、「共栄車体工業株式会社」に商号変更を行い、その翌年、西日本車体工業(株)と共に福岡県北九州市小倉北区西港町に移転しています。昭和47年には西日本車体工業(株)の子会社となり、バス車体の修理や部品製作を行っていました。
その後、平成22年10月西日本車体工業(株)の解散を受け、平成23年3月西日本鉄道(株)の子会社となりました。
平成23年4月には、本社を現在の佐賀県鳥栖市に移転させ、車両改造事業に本格参入しており、現在に至ります。
×
明治19年に発足した渡辺鉄工所の航空機部が、昭和18年10月に「九州飛行機株式会社」として分離独立しました。
九州飛行機(株)は、B29迎撃用として開発された幻の戦闘機と呼ばれる「震電」を製作。
「震電」は、昭和20年8月3回の試験飛行に成功したところで終戦を迎えたため、実戦で使用されることはありませんでした。
その後、九州飛行機(株)は商号を、「筑紫工業株式会社」、「香椎自動車工業株式会社」と変更し、昭和28年8月に福岡県春日市に移転した際、「渡辺自動車工業株式会社」となっています。
渡辺自動車工業(株)は、平成4年9月に佐賀県鳥栖市に移転し、マイクロバス(いすゞBL)のボディ製造やバス車体の改造・修理を行っておりましたが、業績不振のため、平成13年1月解散すると同時に共栄車体工業(株)の鳥栖支社となりました。
その場所が現在の西鉄車体技術(株)本社となります。
×
昭和21年10月、西日本鉄道株式会社の指定工場として、福岡県北九州市八幡東区昭和町に設立されました。昭和27年には、「震電」開発に携わった九州飛行機(株)出身の技術者たちを迎え、「モノコック構造」の最新型バスを開発しました。
そのDNAは、後のバス車体開発に脈々と引き継がれ、昭和33年日本初の冷房付バス(民生リヤエンジンBR325型)や昭和61年夜行高速バスの草分けとなる、トイレ、仮眠室付独立3列シートのスーパーハイデッカーを生産。さらに平成5年、当時としては最も床高さが低い(530mm)超低床路線バスの改良を行うなど、バス車体の開発に大きな影響を与える会社として存在していました。
全国のバスを製造しており、お客様視点を持つコーチビルダーとして多くのファンを持っていましたが、シャシメーカーのバス事業編成もあり、平成22年10月に解散を迎えます。
設立から64年、生産されたバスは62,507台にもおよび、その歴史は幕を閉じることとなりました。
解散に伴い、従業員の一部は西鉄車体技術(株)(旧共栄車体工業(株))へ転籍し、その技術は、現在西鉄車体技術(株)の車両改造事業に引き継がれていくことになります。
×